理事長あいさつ

 「天王寺楽所雅亮会」のHPへようこそ。
 「天王寺楽所」は、聖徳太子が雅楽の前身であった外来音楽でもって三宝(仏・法・僧)を供養せよ、と命じて以来四天王寺に置かれたと伝わる雅楽伝承組織です。聖徳太子の年忌法要である「聖霊会」での奏楽・奏舞を行なうことを根本的な目的として、三方楽所の一つとして、日本の雅楽伝承を支えてきました。天王寺楽所は、特にその舞楽の舞態に固有性を持ち、野外で演奏することや、もっぱら参詣者の仏縁を深めることを目的としていたことから、ダイナミックで明確な舞いぶりを受け継いできました。それでいて決して粗野ではなかったため、平安時代より都の貴顕の興趣を満足させるものでもありました。明治以降は、天王寺舞楽の伝統は民間の手によって維持伝承され、昭和52年には「聖霊会の舞楽」(天王寺舞楽)は国の重要無形民俗文化財に指定されるに至りました。
 このHPでは、「天王寺楽所」の活動を広報していくとともに、当会の後継者育成施設である「天王寺楽所雅楽伝習所」の募集やカリキュラムなどについても発信しています。
 このHPが伝統ある「天王寺楽所」へのアクセスへの一助となることを心より願っております。
一般社団法人 雅亮会理事長 小野真龍

天王寺楽所雅亮会について

 四天王寺に設置された「天王寺楽所」は、京都の宮廷におかれた「大内楽所(おおうちがくそ)」、奈良の大社寺の雅楽を担当する「南都楽所(なんとがくそ)」とともに、平安時代以来、日本の雅楽伝承を担う三方楽所(さんぽうがくそ)を形成してきました。天王寺楽所は、高度な技術と、独特の舞態を備えていることから、平安時代から都の貴顕の注目するところであり、吉田兼好は『徒然草』において「都に恥じず」という当時の天王寺楽所の評価を克明に記録しています。
 明治維新の際に、これらの楽所の楽師たちが、天皇の奠都に伴って東京へ召される事態となり、三方楽所は一旦廃絶しました。天王寺舞楽の伝統も危うく途絶えかけたものの、これを憂いた民間の有志が明治17年に「聖霊会」伝承グループ「雅亮会」を結成しました。明治26年には初代会長小野樟蔭(願泉寺住職)のもと、雅亮会は会則を整えて天王寺舞楽の伝承団体としての地盤を確固たるものとしました。現在は、天王寺舞楽協会の推薦に基づき、四天王寺から演奏時に「天王寺楽所」と名乗ることを認められ、「天王寺楽所 雅亮会」として天王寺舞楽及び天王寺楽所の歴史を伝承しています。
 「聖霊会」などの四天王寺での伝統的な舞台に加えて、住吉大社、嚴島神社で定期的に奉納舞楽を行ない、一年に一回大阪のフェスティバルホール等での自主公演会を催しています。また、天王寺楽所は、アメリカ・カーネギーホール公演、ヨーロッパ各国、ニュージーランド、韓国、中国、チェコ(大統領臨席)など豊富な海外演奏経験も持っています。
 これまでに、大阪府府民劇場奨励賞(昭和33年)、大阪文化祭賞(昭和41年)、大阪府民劇場賞(昭和52年)、大阪府知事表彰(昭和60年、62年)、文部大臣表彰(昭和62年)、伝統文化ポーラ賞地域賞(令和2年)を受賞しています。
 初代雅亮会会長小野樟蔭は上方芸能人顕彰を受け、初代雅亮会楽頭の小野摂龍は大阪文化賞を受賞しています。二代目雅亮会楽頭で初代雅亮会会長でもあった小野功龍は平成26年に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞しています。

聖霊会の舞楽

重要無形民俗文化財「聖霊会の舞楽」(文化庁HP 国指定文化財データベースより)
https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp
保存団体:天王寺舞楽協会
 聖霊会は聖徳太子の御忌にその聖霊をまつる法会で、四月二十二日天王寺区の四天王寺で執行される。この法会は王朝時代の舞楽法要の姿を伝えているもので、古式豊かな舞楽が六時堂前の石舞台上で四隅に巨大な赤紙花の曼珠沙華を飾って舞われる。惣礼伽陀、四箇法会儀式に織り交じりながら、「振鉾【えんぶ】」「蘇利古【そりこ】」「菩薩【ぽさつ】」「獅子」「迦陵頻【かりようびん】」「胡蝶」などの舞楽が舞われる。四天王寺は、三方楽所の一つに数えられてきた由緒ある舞楽の伝承を持っており、明治初年に楽所を一つにして宮内庁楽部にした後も、その伝統を伝え残して現在に至っている。
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